ふるさとの味

私はこれまでの十数年、泗水でだけ生きてきた。この故郷の小さな町の名は、まるで呼吸のように自然で、かつてはその流れるような静けさと素朴な良さに気づかせなかった。

ここでは時の流れはゆっくりで、風は柔らかく雲は軽い。人々は賑わい、生活の息吹が濃い。私はこの素朴な方言、飾らない人情、春の花や秋の実りを愛し、何より育ちを共にした故郷の味を愛している。

1月は雪解け、2月は暖かさを運び、3月には花が庭いっぱいに咲く。旧正月の十五夜、元宵節には、泗水では湯円を食べず、どの家も餃子を包む。「泗水の包子(餃子)は万物を包める」と言われる。この時期、秋の収穫後に埋められたカラシナの根(ラーツァイ=「財を引き寄せる」に通じ、縁起を担ぐ)が瑞々しく掘り出される。千切りにしたカラシナの根を湯通しし、ひき肉と和える。巧みな主婦たちが器用に包み、丸々とふっくらした白い餃子がグツグツと鍋に入る。清らかな香りが辺りに漂う。間もなく、スベリヒユやナズナなどの山菜が顔を出し、油っこさを消してさっぱりさせ、餃子の餡の爽やかな風味となる。

4月は雨が降り、5月は潤い、6月は麦の穂が青々と波打つ。4月の煙雨が万物を潤す頃、チャンチンが芽吹く。緑の中に赤みを帯び、香りが遠くまで漂う。最初に伸びた芽が最も柔らかく美味しい。父は竿の先に鉤をつけて摘み取り、私は下で拾う。近所の人々もよく手伝いに来てくれる。摘みたてのチャンチンは各家に分けられ、村中に香りが満ちる。湯通ししたチャンチンは、卵と炒めたり、衣を付けて揚げたり、豆腐と和えごま油を垂らしたり、どれも絶品だ。

7月は蝉の声、8月は暑さ盛り、9月の夏の夜は涼風が肌を染める。夏の夜、中庭や屋根にござを敷いて涼み、蝉や虫の声を聞きながら涼しい風に包まれ、いつの間にか眠りに落ちる。煎餅を焼く季節になると、前夜に粟粥を煮て小麦粉を加え、糊状にする。夜明け前に庭に鉄板を据え、近所の人々が集まって談笑する。主婦は油布で鉄板を拭き、糊を一気に広げ回す。棒で軽く伸ばせば、一枚の薄くて香ばしい煎餅の完成。流れるような動作は舞のようだ。立ち上るかすかな煙の中に、一年分の煎餅が出来上がる。焼きたての煎餅は薄くてパリッとし、噛めば噛むほど穀物の香りが強まる。これが労働の味だ。

10月は月が満ち、11月は冷え込み、12月は春を待つ雪が舞う。旧暦12月8日の臘八を過ぎると、年越しの雰囲気が次第に濃くなる。泗水の年越し市が開かれる!私はあの人混みの熱気がたまらなく好きだ。色とりどりの果物や軽食が所狭しと並ぶ:きらめくサンザシの飴、揚げたての油条、香ばしい焼き饅頭…。この一碗の人々の生活の息吹に抱かれれば、それだけで満ち足りる。

人の世の至高の味は、淡くも深い喜びにある。泗水の味わいは、いつか濃くて解けきらない郷愁となり、私の心に深く刻まれるだろう。